おれは兄さんが好き。

きっと最初は、尊敬や憧れの意味での好きだったのだろうと思う。
あらゆる事をひょいひょいと簡単にこなしてしまう兄さんが、子供の頃のおれにとっては憧れだった。目標だった。
勿論、それは今でも変わらない。

果していつからだろうか。それに付加して、新たな感情が芽生えてしまったのは。憧れや尊敬からの好きが、変化を遂げてしまったのは。実の兄に、恋愛感情を伴った好きという感情を覚えてしまったのは。
自覚しなければ良かった。そうしたら、こんなにも思い悩む必要も無かったのに。

『兄さん?うん、…そっか。ぁ、今日はサクラたちと一緒に帰るよ。――うん、わかった』

何の変哲もない会話。それでも気になって仕方がない。でも、それを相手に悟られないように気を遣わなくてはならなくて。
兄さんは勘が鋭いから、おれが嘘をついても大半は見抜いてしまう。…ひょっとしたら、おれがばれないようにと気を遣っていても、既にばれてしまっているのかもしれないけれど。

『…じゃあ、切るよ。練習頑張っ――』
「小狼」
『ん?』

何だろうかと問い返したが、兄さんからの返答がない。

『兄さん…?』
「…いや、やっぱり何でもない。悪い、皆のこと待たせてるだろ」
『ぁ、うん』
「夜道は危ないから、出来るだけサクラさん達とは一緒にいろよ」
『大丈夫だよ。ちゃんとサクラさんの家までは、おれも四月一日くんも付いてるし』

ついこの間、学園の近くで下校中の女生徒を狙った不審者が現れたとの連絡があった。
だから、多分この事を言っているんだろうな…と思っていたのだけれど

「馬鹿。お前も気をつけろって言ってるんだよ」

その言葉を聞いた時、不意に襲う胸の高鳴り。家族だから、兄弟だから心配するのはある意味当然。
大袈裟過ぎる、そう頭では思っているのだけども。でも、やはり意中の相手に心配されるのは嬉しいもので。

『…大丈夫だよ』
「どうだか。お前の言う大丈夫ほどあてにならないものは無いし」
『それは兄さんもでしょ?』

少しだけむっとしてそう言い返すと、電話越しに聴こえて来るのはくすくすと笑う声。

「まぁ、似た者同士ってことにしておくか」
『もう…』

いつものように笑ってごまかされた。そんなことよりも、
似た者同士…か。性格はまるで違うけれども、外見だけじゃなくて、やはり内面も似てるのだろうか。
…じゃあ、自分と同じような事を兄が思っているかもしれない、などという希望を持ってみても良いのだろうか。
そんなわけ無いと現実を見る自分と、ひょっとしたらと理想を夢見る自分が半々に存在していた。

『…ねぇ、兄さん』
「なんだ?」
『兄さんは、おれの事好き?』
「…どうかしたのか?いきなりそんなこと聞いて」
『ううん、何にも無いよ。ただちょっと…』
「…好きだよ。当たり前だろ?何でおれが、お前の事を嫌いになんかなるんだよ」

疑問符だらけの返答。眉間に皺を寄せて訝しげな表情をしている兄の姿が、声のトーンから容易に想像できた。

『そ…だよね、ごめん。でも―――』

さも当たり前であるかのように紡がれた、その二文字。それが意味するものは明確であり、現実と理想は異なるものであることをつき示す。

『兄さんの「好き」は、おれと同じ「好き」じゃないよね』

どくんっ…と、いつになく大きく脈が打たれた感じがした。

「…え?」

戸惑いの後に続く沈黙。きっとそれはほんの数秒で、極々普通のものだったのだろうけれども。まるで、全てが凍りついたかのように感じられた。それだけ…そう思えてしまうほどに、この空白が恐ろしかったのかもしれない。

「…多分、違うよ」

返って来た言葉は、自分が予想していた通りのもので。その声音は、幼子を宥めるかのように穏やかであり、それでいて、何故か落胆したかのようなものが含まれていた。

『…それが、聞きたかっただけ。ぁ、もうそろそろ部活始まっちゃうよね。ごめん』
「いや…」

胸のうちを悟られないように、無理矢理笑ってごまかした。何事も無かったかのように。自分の悪い癖だ。

『じゃ、今度こそ切るよ。ばいばい』


―――ピッ


『………ぁ、はは…っ』

電源ボタンを押すと同時に、堪えていた感情が押し寄せてくる。けれども、涙は出なかった。力無く、自分を嘲笑うことしか出来なかった。

伝えなければ、声にしなければ良かったのに。
そう思っても、一度口にしたことは無かったことには出来ない。後悔しても、二度と元に戻ることはない。

寧ろ、諦めがついて良かったのかもしれない…そう思う気持ちも少なからず自分の中にはあった。
もう終わりにしよう。兄さんに対するこの気持ちを。今日で最後にしよう。おれ達は、普通の兄弟でいよう。
瞳を綴じて、ゆっくりと心に刻みつける。自らの戒めとなるように。強く、深く。

深く息を吸って、それを吐くのに合わせて瞼を上げた。

『……早く帰らなきゃ。サクラさん達が待ってる』

おれは急いで靴を履きかえて、皆が待っているであろう校門に向かう。
今日の夕飯は何にしようか、冷蔵庫の中には何が残っていただろうか…そんな事を考えながら。











ツー…ツー……


慌ただしく切断された回線。先程まで話していた相手はもう応えることは無いのに、おれはそのまま動けずにいた。

―――兄さんの「好き」は、おれと同じ「好き」じゃないよね―――

小狼の言葉が、頭の中で復唱される。どういう意味合いで聞いてきたのか、明確には分からない。
ただ一つだけはっきりしているのは、その的を射た言葉に少なからず動揺してしまったということ。

「お前が思う『好き』が何なのか、おれには分からない。おれはお前じゃないから」

例え、考えに考えて答えを導き出したとしても、それは仮定であることに他ならない。それ以外の何物にも成り得ない。

「けれど……。きっと、違う。違うんだよ、そんな綺麗な感情なんかじゃあない」

カタンと音を立ててロッカーにもたれ掛かると、そのまま重力に従って身体がずるずると落ちる。
遣り切れない気持ちの行き処が分からず、ただただ携帯を握り締めていた。










知らなくて良かった

自覚なんかしたくなかった

だって、だってこんなにも、相手を愛しいと想うことが辛く苦しいことだなんて

おれ達は知らなかったのだから



――――愛しいから、苦しい
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。