「どうかしたのか?」

不思議に思い、小龍が聞き返す。

『ぁ…あのね兄さん。……おれに聞きたい事ってなに?』
「え……?」

小龍は少しキョトンとした顔をして小狼を見る。
一体何のことを言っているのか分からない。逆にこちらが聞きたいくらいだった。
すると、小狼は少し口籠もりながらも言葉を続けた。

『えっと…、ファイ先生が『小龍くん、小狼くんに用があるみたいだから』…って言ってて。それで…』
「ファイ先生が?」
『うん。…用ってなに?』

まさかとは思うが、昼休みに屋上でファイにした質問の答えを、小狼から直接聞けと言うのだろうか…。いや、ファイの性格を考えると、それも有り得ないとは言えないだろう。

「…えーと…だな……」
『うん?』
「……ファイ先生との関係って…何か有るのか?」
『ぇ?』
「あ、いや。何も無ければ良いんだ。その…。えーと」

自分でもなんて率直な聞き方をしてしまったのだろうと、後悔している。
小狼が自らそのような事を言うはずが無い。寧ろ、そんな関係というのが、何を指しているのかすら、理解していないかもしれない。

小狼は軽く首を傾げた後、
『…おれとファイ先生は、ただの生徒と教師でしか無いと思うよ?』
と呟く。

昼休みにファイに言われたのと同じ台詞。
やはり自分の考え過ぎなのか、と思った…のだが。

『ぁ、でも…。これはファイ先生に頼まれた事なんだけど。学校以外で会う時は、先生じゃなくて、名前で呼んでって…』
「……は?」

思わず声音が低くなってしまった。
小狼は一瞬、ビクリと肩を強張らせ、恐る恐る兄の顔を伺うと息を呑む。

そこに有るのは、いつもと同じ様な笑みを浮かべた小龍。
……しかし、決定的な相違点があった。

(…目が笑って無いんだけど……っ)

口角はきっちりと上がっていたが、目元は全くもってそうでは無く。
まるで、目の下あたりまで黒い幕が下りているように見えなくもなかった。

という事は、そういうわけで。

『で、でもそれ以外はなんにも無いし、…本当に!』
「…今日の事もか?」
『え?』
「今日、抱き寄せられていただろ。ファイ先生に」
『あれは違うよ。単にあれは、おれが見えないって言ったから―――』
「……っ!お前はそんなだから付け込まれるんだよ!!!」

なんとか弁解しようと努めた小狼だったが、それが小龍の逆鱗に触れたらしく。気が付いたら小狼に向かって怒鳴り散らしていた。
もう先程までの表情はしておらず、眉間に皺を寄せ、食って掛かる。

「お前がそういう事に疎いから、あの人は面白がってやってるんだ!いつ本気になるか分からないんだぞ!!?」

(……違う)

「小狼、あの人だけか?そんな扱い方をしてるのは。他の教師もひょっとして…」

(…そうじゃない)

「お前がそんなだから…。だから……」

(違うんだ…。おれが小狼に言いたいのは、こんな事じゃなくて……。ただ、こいつのことが心配なだけで………)

「―――だから」
『…ぇ!??に…、兄さん??』

小狼が驚いたのも無理は無い。
小龍がいきなり小狼に抱き着いてきたのである。

「……おれを…心配させないでくれ……」
『兄さん…』

そう言いながら、小狼は兄の身体を抱きしめ返した。
そうでもしないと、いつの間にか兄が居なくなってしまうかもしれないと思えたから。
何故かは、分からなかったけれど。
とても心細く感じて、兄の温もりに触れていたかった。

『…ごめんなさい…。兄さん……』

兄…小龍が居なくなること。
産まれた時から、自分がこの日本へ留学するときまで、傍に居てくれた人。
そして、半年後に自分と同じく、日本へ留学することになった兄。
たった半年しか離れていなかったのに、出逢った時に涙を流してしまった自分。
それからもずっと傍に居てくれて、大切にしてくれた人。

小龍が居なくなる…。

それは、自分の大切な人を失うのと似ている。
いや、
同じことかもしれない。

小狼にとって、それは一番避けたいことだった。


―――――――――――――――――

『……よし、出来上がり。兄さーん。夕ご飯出来たよ』

小狼は、それなりの大きさの声で、小龍を呼んでみた。
しかし、その返事は無い。

『…?兄さん?居ないの?』

不思議に思った小狼は、エプロンを外してリビングを見渡してみる。
すると、小龍はソファーに寝そべった仰向けの状態のまま、新聞を読んでいた。

この距離ならば、声は届いているはず。しかも、イヤホンも何もしていない。
となると、聞こえないふりをしているのか……。

『…兄さん』
「………」
『機嫌を直してよ…』
「…だったらファイ先生に、名前で呼ぶことはできませんって断ってこい」
『ぅ……それは…』

あのファイ先生にそんなことを言っても、まともに聞いてもらえるワケが無い。
それは、小龍も重々承知しているはずだ。

「無理なら、おれがファイ先生に言ってくるが…」

それでも良いかと思った小狼だったが、サクラ達に聞いた話では小龍とファイが話し合いだけで解決することは滅多に無かったらしい。
事が発展して、暴力沙汰にでもなったら取り返しがつかない。

なら、自分がファイに言うのが、最良な選択な気がするが。

(ファイ先生は都合が悪くなってくると、話を逸らし始めるんだよね……)

取り敢えず、ファイの事は後でゆっくり考えよう。
まずは、目先の問題を解決する必要がある。

(兄さんの機嫌を、どうにかして直さないとなぁ……)

小龍の機嫌は最高潮に悪いらしく、こちらと目を合わせようともしない。
小龍の場合、小狼に暴言を吐いたり手をあげたりはしない。
そのかわり、尽く無視をする傾向が見られるのだ。
尤も、口喧嘩になるときは、どす黒い笑顔が降臨するのだが…。

(兄さんの機嫌を直す方法は知ってるんだけど…は、恥ずかしいんだよね)

しかし、自分が渋っていても、事態は一向に解決しない。
覚悟を決めた小狼は、小龍の傍に静かに座り、その行動に移る。

「しゃ……小狼!??」

小龍が驚いて目を見開く。
小狼がとった行動…。
それは、兄の額に口づけを落とすことだった。
流石の小龍も、突然の出来事に驚きを隠せないでいる。

『………』

小狼は、ゆっくりと小龍の額から顔を遠ざける。
そして、ソファーから起き上がった兄を見て、微笑みながら言った。

『こんなことをするのは、今も昔も兄さんにだけ。ファイ先生は勿論、他の誰にもしてないんだよ?』
「…小狼…?」
『だから……。機嫌直して?』
「―――小狼…」

小龍は小狼を強く抱きしめた。
小狼を…弟を、愛しく想うがあまりに。
兄弟なのに、このような感情は持つべきでは無いと判っているのに。
愛しくて、愛しくて…。
この存在を誰にも渡したくなくて、自分だけのものにしたくて…。

……どうしても叶わないのなら、自分から、この離れつかずの関係を壊してしまおうか…?

日本に留学した小狼のことが心配で、此処まで追いかけてきてしまった自分だが、きっとこのまま、普通の『兄弟』という関係ではいられないだろうと思っていた。
――思っては、いた。だからこそ、自分の想いを小狼にぶつけてしまおうかとも思えた。
もし、このことを小狼に告げたら、どんな目をしておれを見るのだろうか……。

『…どうしたの?兄さん』
「――ん?あぁ、何でも無い」
『本当に?何だかボーっとしていたけれど…』
「大丈夫だ。少し、考え事をしていただけだから」
『そう?困った時はおれに言ってよ?まぁ、あまり頼りないかもしれないけれど……』
「そんなこと無い。その時は…そうさせて貰う」

小龍はそう言うと、出来る限り優しげな笑顔を小狼に向けた。
小狼も、それに応えるように、微笑みを返した。

『ぁ、早くご飯食べないと』
「そうだな」

そして、二人は食器を棚から出して、食事の準備を始める。
その間も、小龍はあの話の事で頭がいっぱいいっぱいだった。
言う覚悟はできた。
しかし、いつ言えば良いのかを決めかねていた。

(タイミングっていうのが有るからな。まぁ、100%無理と分かっていれば、そんなものは関係無いかもな…)

とにかく、自分から雰囲気を作りだそうと決めた。
食事の最中にでも、話を切り出せば、なんとかなるかもしれない。
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