―――週間天気予報です。全国各地で、梅雨入りの傾向が見られます。お出かけの際は傘をお忘れなく―――

「…はぁ」

今年も奴がやってきたかと、少々うんざりした顔をして、小龍は頬杖をつきながらテレビを眺めていた。
梅雨の時期はあまり好きではない。
湿気でべたべたするし、足元は雨水でびしょ濡れになるし、それが弊害してあまり外に出歩きたくなくなるし…。
なんなら、朝起きた時に雨音が聴こえた瞬間にテンションがだだ下がりになるくらいである。
それは本日も例外ではなく。

「せめて少しくらい晴れてくれたって良いだろうに…」

このところ、殆ど毎日雨音と共に朝を迎えているのだ。そろそろ朝日が恋しくなってくる頃である。
現在暦は6月。
この梅雨が終わると、今度は猛烈な熱波がやってくる。
日本の夏は、他とはちがってカラリとした暑さでは無い。湿気と共に猛暑がやってくるのだ。
おまけにこの都心部では、所謂ヒートアイランド現象によって、連日異常なまでの数値を叩き出している。外に出るだけで命懸けである。
…いや、少し大袈裟に言い過ぎたかもしれない。

「兄さん」

朝シャンを終えたばかりの小狼がひょっこりと顔を覗かせた。
胡桃色の髪はふわふわと揺れ、シャンプーのフルーティな香りが鼻腔を擽る。
ずっと眉間に皺を寄せている小龍に気付くと、小狼は対照的にくすりと笑った。

「何をそんなに不機嫌そうにしてるのさ」
「…雨が」
「?」
「今日から梅雨入りなんだと」

そう吐き捨てるように告げるも、小狼はいまいちピンときていないようで。
琥珀色に煌めく瞳をぱちくりとさせては、うん?と軽く首を傾げていた。

「あぁ。兄さん、この時期あんまり好きじゃないんだっけ」

やっと思い当たったとでも言わんばかりに、わざとらしくポンと手のひらを打ちつけた。

「というより、大半の人間が好かないと思うんだが」
「確かにそうかもしれないけど、梅雨ならではの楽しみもあるじゃない?」
「例えば」

梅雨の楽しみがあまりにも思い浮かばない。
髪は湿気で広がるし、セットしてもほぼほぼ無意味になるし、本を初めとした紙も湿気る。
…別に洒落ではない。これは事故だ。
雨音を聞きながらの読書が捗るとは言うが、実際は除湿機があるのが前提ではないだろうか。
蒸し暑い中では、集中出来るものも出来なくなる。

「そうだなぁ…学園の近くの公園。彼処の休憩スペースに紫陽花が植えられてるんだけど、知ってた?」

私立堀鐔学園。
幼等部・初等部・中等部・高等部・大学・大学院…と学園自体の敷地がとてつもなく広い為、近くといえば確かに近くなのだが、わりと距離はある。
多分、小狼が指した近くの公園とは幼等部と初等部に隣接している公園だろうか。
季節ごとに咲く花々が植えてあり、幼子が退屈をしないようにと、定番のブランコ・シーソー・ジャングルジム・鉄棒などは勿論、ターザンロープ・ロッククライム・吊り橋などのアスレチックもとり揃えている。
学園も広いが、この公園も負けず劣らずである。

「丁度、今なら蛍の時期とも被るんじゃないかな」

休憩スペースには子供が遊んでも安全な浅い小川があり、この時期の晴れた夜には蛍も飛んでいる事がある。
夏祭りの帰りに親子連れが訪れることも多い。
水質汚染の関係で最近は見られないところも多いと聞くが、学園の関係者が手入れでもしているのだろうか。

「流石に今日は無理なんじゃないか?」
「まぁ……そうかもしれないけれど」

天井に打ち付ける雨は、暫く止みそうもない。

「それでもさ、折角の日本特有の気候だもの。家にずっと引きこもっているのは、少し勿体ないとは思わない?」

何処までも否定的な返答しかしてこない小龍に対して、小狼は少し困ったような顔をしてみせる。
別に意地悪をしたい訳でもないし、反抗したい訳でもないが、そんな顔をされると此方が悪いみたいに思えて少しバツが悪くなった。
不機嫌そうな表情でじっと小狼を見つめていたが、目を伏せて負けましたとでも言うように小さく溜息をつく。

「…で、お前は何処に行きたいんだ?」

先程までと一転して、ぱぁっと小狼の表情が明るくなった。コロコロと変わりゆくそれは幼い頃から相変わらずで、小龍にとって効果は抜群である。勝てた試しがない。
実際、先程まで気が乗らなかった雨降りの外出だったが、これだけよろこんで貰えるなら寧ろお釣りが来るくらいだなと小龍は思った。

「さっきの公園も勿論そうなんだけど」
「うん」
「…あ、やっぱり内緒」

人差し指を口元に持ってきて、悪戯っ子の様にはにかむ小狼。
再び怪訝そうにする兄を見ては、ごめんごめんと笑いながら続ける。

「最初にここ!って言っちゃうより、案内しながらの方が良いかなって思っちゃって」
「…はいはい。それなら今日は、弟君にエスコートしていただきますか」
「ふふっ、任せておいて」

そうと決まれば準備をせねばなるまい。
起き抜けでパジャマ姿のままだった小龍は、動きやすいカジュアルな服装に着替えをサクッと済ませて、寝癖を軽く整えた。
どうせ崩れるのだ。見苦しくない程度に整えるくらいでも、さほど問題は無いだろう。
七分袖のチェスターコートに、薄手のサマーニット、スッキリと見える黒スキニーを合わせている。少し前に立ち読みをしたファッション誌に載っていたコーデを参考にしてみたもので、女子には割と好評であった。定番ではあるが楽に着ることが出来、自分としても気に入っている。

「兄さん、準備できた?」
「ああ、今行く」

玄関を開け外を覗くと、雨はぱらぱらと音を立ててふたりを待ち構えていた。
小狼が自分の傘を手に取り、開こうと両手を柄に添えると、更にその上に小龍の右手が重ねられる。
反射的に隣の兄を見やると、双方の瞳がパチリとかち合った。

「ど、どうしたの?」

瓜二つな造りをしているはずなのに、何故だろうか。自分とはまた少し違う雰囲気を纏う片割れに見つめられると、不思議と心臓が早鐘を打つ。

「…どうせなら相合傘がいい」

あまりにもその雰囲気にそぐわない可愛らしい発言に、小狼は一瞬呆気に取られてしまった。

「へ…?」
「駄目か?」

あまり感情が顔に出ないと言われがちな兄であるが、普段から一緒に過ごしている自分にははっきりと分かる。
明らかにシュンとされてしまった。
小龍が小狼の笑顔に対して弱いように、小狼も小龍のその表情には弱い。狡いなと心の中でぼやきながら、小狼は首を横に振った。


ぽつりぽつりと、不規則に跳ねては踊る雨粒たち。
街には色とりどりの傘の花が咲き、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
小龍達も、その中に紛れ込んでいく。
ひとつ傘の下、互いの肩に温もりを感じながら。



*Fin*

(碧依水綺さん、お誕生日おめでとうございます!)
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