『小狼くん』


歩みを止め振り返る。


「サクラ姫」


おれがそう呼ぶと、姫は、やわらかな笑顔をおれに向けた。

姫の笑った顔を見ていると、おれまで自然と笑顔になった。


『小狼くん……あのね、明日…大丈夫?』

「何がですか?」


明日って、何かあったのだろうか?

そういえば、ファイさんが何か言っていたような気が。


『えっと、ほら。モコちゃんが、この国には羽根の気配はしない…って言ってたでしょ?だからファイさんが、明日は自由に過ごして羽を伸ばそうって………』


そういえば、そんな事を言われていたような。

考え事をしていたせいか、すっかり忘れていた。


『だから……その…』

「なんです?」


おれがそう尋ねると、姫は少し下を向いて、


『わたしに……付き合ってくれませんか…?』


小さな声で、そう言った。


「え?」


あまりに突然の出来事だったので、おれは少し、驚いてしまった。

すると、姫は慌てて言葉を紡ぎなおした。


『えっと…その、前の国では色々あって、そ…そばに居られなかったから。その、一日だけでも一緒に過ごしたいなぁ…って』


思って……。と、小さすぎて、聞こえなさそうな声で口ごもる。


「姫……」


心なしか、姫の顔は夕日の様に朱く染まっていた。


『あ、でも小狼くん、…忙しいよね?ごめんね。…ずいぶん勝手なこと言っ』
「そんなこと無いです」


おれは気が付いたら、姫が言い終わる前に、言葉を発していた。


『え……?』

「その…えっと…。おれで良ければ」

『…本当?ほんとのほんと!?』


姫は、涙で潤んでいた瞳を輝かせて、そう言った。


「ぁ、はい!ほんとのほんとです…っ!」


姫の勢いに押されてだったのかもしれないけれど、おれは、早口にそう言った。

いつの間にか、おれの顔も熱くなってきたように感じた。

おれは一体どんな表情をしているのだろうか…。


『…有り難う……。小狼くん』


―――ポッ…ポッポッ…


『あれ?雨…?』

「そのようですね」

『いけない!ファイさんに頼まれて、洗濯物を干していたのを忘れてたーーー!!』


慌てふためく姫の姿に、思わず噴き出してしまった。


「くすっ。洗濯物は、おれが取り込んでおきます」

『でもっ、頼まれたのはわたしだし……』

「大丈夫ですから」


そう言うと姫は、おれに全て押し付けるわけにはいかないと


『それなら、わたしも手伝います。……二人でやったほうが早いでしょ?』


そう言ったとき、姫の名前を呼ぶ声があった。

振り返ると、エプロンを身につけたモコナが、こちらへ向かって飛んでくる。


『サクラーー!ファイがね、ちょっと手伝ってほしいんだってーーー!』


少し困った顔で、姫はおれの方を見た。


「おれが一人でやりますから。姫は、ファイさんの手伝いに行ってください」

『ごめんね、小狼くん』

「いえ」


向こうでは、モコナが『早く』とせがむ。


『じゃあ、お願いね。取り込んだら、玄関に置いてくれれば、問題無いから』

「分かりました」


そう言い残して、姫はモコナと一緒に、建物の中へと入っていった。


「さて、早く取り込まないと大変だからな」


自分に言い聞かせるようにそう呟いて、洗濯物へ手を伸ばす。

まだ小雨だったためか、そんなに言うほどそれらは濡れてはいなかった。

ただし、油断はできない。

雲行きはまだ怪しい。このままでは、夜になっても降り続きそうだ。


『……明日、晴れるといいな…』


そんな空の下で、おれは一人ポツリと呟いた。
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