―――カツン…カツン

アパートの階段を力無く上って行き、自分達が住んでいる部屋の前で足を止める。
夜風ですっかり冷えた涙を指で拭い去ると、ドアノブに手を沿えた。

『………』

ふと、さっきまで自分の感情を支配していたものが、再び浮上してきた。思わず、その手を止める。

胸が……痛い…。

不安と苦しさで、押し潰されてしまいそう。

『……………っ』

小狼は、暫く微動だにしなかった。
しかし、このまま突っ立ってるわけにもいかないわけで。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、ぎゅっとドアノブを下げ、開け………ようとしたのだが

『あれ…?開いてない…?』

何故か、扉には鍵が掛かったまま。ということは、小龍はまだ帰ってきていないのだろうか?
いつもなら、この曜日のこの時間帯には家に居るはずなのだが…。

『部活ってわけじゃないはずだし…』

前もって何か言われていなかったか、と記憶を辿ってみるが、特にこれといったものは無い。
兄の性格上、無断で行動をとることは良く有ることではあった。別に珍しいわけでも無い。
それでもこんなにも胸がざわつくのは、あんな光景を見てしまった後だからかもしれない。


窓越しから見たあの光景。

楽しそうに微笑む二人。

…脳裏に焼き付いて離れない。


そして、負の感情は負の連鎖を呼ぶ。

『(もしかして、今頃あの子と一緒にいた…り……?)』

こんな時間に?何の為に?


――――♪♪♪


不意にケータイの着信音が鳴り響いた。
小狼は慌てて制服のポケットからケータイを取り出す。ひょっとしたら、小龍からかもしれない。だが、そんな期待も虚しく、ディスプレイに表示されていた名前は

『サクラさんからだ…』

何か有ったのだろうかと思い、通話ボタンを押す。

『もしもし?』
[ぁ、小狼くん。…これからちょっと時間空いてる?]
『うん。…どうかしたのかな?』
[あのね、今からお買い物に行かなきゃならないんだけど、お兄ちゃんが一人で出歩くなって言うの。ぁ、いつもはお兄ちゃんと一緒に行くんだけど、今日はバイトがあって無理なんだ…。それで、よかったら小狼くんに頼みたいんだけど…駄目…かな?]

確かに、夜に女子がたった一人で出掛けるのは、あまり好ましく無いだろう。
それに、小龍だってまだ帰ってきていないのだし、合鍵だって持っているはずだから何も困ることなど無い。
小狼は二つ返事でこたえることにした。

『うん、おれで良いなら』
[本当!?有難う小狼くん!]
『…なら、今からそっちに行けば良いかな?』
[うん、そうしてもらえると嬉しいな]
『分かった』
[じゃあ、また後でね]
『うん、またね』


――――パタン…っ


『はぁ………』

ケータイを閉じ、浮かない表情で溜息をついた。

無言で、首から提げていた鍵で扉を開け、不要な荷物を玄関へと置く。
部屋の中は真っ暗で物音一つしない。誰も居ないので、当然と言えば当然なのだが。
それでも、心が揺れ乱れて不安定な今の自分には、此処に独りで残ることは、とてもじゃないが堪えられそうに無かった。
…サクラが自分を誘ってくれて良かったと、心底思う。
そして再び、扉に鍵を掛ける。

―――ガチャリという音がいつに無く大きく響いたような気がした。

元来た道を歩きながら、ふと、騒がしい街中の方へと目を向ける。
先刻よりも沢山の星々の目映いほどの光が降り注ぎ、人工の光と共に艶やかに地上を彩っていた。
こんなにも沢山の明かりが有るのに、自分の為の明かりなど一つも無いだなんて。
…まるで、自分だけが世界から切り離されたような錯覚を覚えた。
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