『――くしゅんっ』

それは、何気ないくしゃみから始まった。





ピピピピッ…
「あー、やっぱり熱が有るねぇ」

体温計に表示されている数値を見てファイが呟く。

『…何度ですか?』

ベッドの布団に包まれていた小狼が、顔だけをファイの方に向けて尋ねた。その声は少し掠れていたが。

「38度2分。小狼君いつも頑張ってるからねー、疲れが出たんでしょ。今日はゆっくり休むと良いよ」
『すみません…。有難うございます』

ファイは体温計を元の場所へと戻すと、かわりに薬箱を持ってきた。その中から薬を取り出し、コップに水を注ぐ。

「んじゃ、御飯食べたらコレ飲んでおいてね。…食欲無いだろうけれど、ちゃんと食べなきゃダメだよ?」
『はい…。分かりました』

小狼がそう言って頷くと、ファイは静かに部屋から出て行った。
ファイが部屋から出て来ると、扉の近くに黒鋼がいた。

「小僧はどうだった」
「熱があったよ。微熱…というには少し高い熱が」
「…そうか」
「昨日、黒様が小狼君を背負って帰って来たときは何があったのかと思ったけれど」
「………」
「…何があったの?」
「何にもねぇよ」
「む~~ぅ…。教えてよ~」
「無ぇもんは言えねぇだろが」
「…まぁ良いや。そういうコトにしておいてあげる」
「なんだそりゃ」

含み笑いをしながら言うファイと、訝しげな顔をする黒鋼。

「こーゆー言い方って変だけど、オレ達が此処に居られるのって、小狼君のおかげだよねぇ」
「…たしかに変な言い方だが……、まぁそうだな」

此処は、とある宿屋の室内。
本来なら、余所者の自分達が居られるような所ではないのだが…。
何故、宿を使えているのかというと、不調の小狼を背負って歩いていたら此処の主人が「入らないかい?」と、声を掛けてくれたからだ。
しかも、この宿は部屋がとても広く、普通に泊まったら少し値が張るような所で…。

「此処のおじさんには、感謝しないとね。あの路地裏の場所じゃあ、余計に具合悪くなっていたかもしれないし…。本当に良かったよ」
「………」

正直に言うと、前に居候していたあの路地裏は、衛生面ではとてもではないが良いとは言えないような所だった。
今までずっとそこに住んでいた人達には、それなりに耐性が有るのかもしれないが…。

黒鋼とファイの話が一段落した所にサクラがやってきた。

「どうしたの?サクラちゃん」
『あの…、小狼くんの様子どうですか』

先程までキッチンに居たため、エプロンをしているサクラ。
実は、小狼への食事は、サクラが以前ファイに教えてもらったレシピで作ったもので。
「風邪が移ると大変だから」とファイに言われ部屋には入らなかったが、やはり心配になって此処に来てしまったようだ。

「う~ん…。だいぶ熱があってね、喉も痛めてるみたいだし…」
『……そうですか』

不安で表情が曇るサクラを少しでも元気づけようと、ファイは目線を合わせて微笑みながら
「少しでも早く良くなるように、喉に良い『はちみつミルク』作っちゃおうか」
と、言った。

サクラは、横目でドアを見つめた後、顔をあげて
『…はいっ』
と、精一杯の笑顔で応える。
それを確認したファイは、黒鋼に「んじゃ、オレ達向こうに行ってるから」とだけ言い、キッチンの方へと歩いて行った。


そして、先程の時間と同時刻。

ファイが部屋から出て行った為、此処には小狼一人だけとなった。ベッドの近くにあるテーブルには、ファイが置いていってくれた食事と風邪薬、水などがのっている。

『けほっ、ごほっ…』

喉が痛い…。頭痛もする。身体がだるくて、正直な所起き上がる事さえ面倒に思える。

『うぅ…』

ファイの言う通り、これまでの疲れのせいも有るのかもしれない。だが、原因はそれだけでは無いだろう。
小狼は寝返りをうって、ポツリと呟いた。

『……何で…あんな事に…』

風邪をひいた大きな原因…昨夜の出来事を小狼は思い出していた。
昨日一日で色々と有りすぎて、なんだかそれだけで疲れてきてしまう。

(…羽根は結局、黒鋼さんが盗ってきてくれたけど……)

サクラの羽根を得る為に王宮へと向かったのだから、当然といえば当然なのだが…。
本来なら何も起こる事無く、終わるはずだったのに、思わぬ取引を迫られ、最終的には奪還する事になってしまった。

(でも……あれは…)

そして小さな溜め息をついて、うかない顔をしながら、息を吐くように力無く言う。

『…どうして黒鋼さんは』
「俺がどうしたって?」
『―――!?く、黒鋼さんっ??』

いきなり思ってもいなかった人物の声が聞こえ、驚きのあまり上擦った声が出てしまった。

『……何時から、此処に…』
「ついさっきだ。入る時に一応断りをいれたんだが…聞こえてなかったみてぇだな」

ほとんど変わらない表情で淡々と話す黒鋼。それとは正反対に明らかな動揺を隠せないでいる小狼。
その事を悟られたくないからか、目の下のラインまで、顔を毛布の中にうずめた。

「で、俺がなんだって?」
『………』

黒鋼が再び尋ねると、小狼はそのまま動く事もなく黙り込んでしまう。
そんな小狼の様子から大体の事は把握できたようで。

「昨日の事…か」
『…………はぃ…』

ズバリと言われ、消え入りそうなくらいに小さな声で小狼は答える。
そして、キョロキョロと目を泳がせると、意を決したように口を開いて、少しばかり戸惑いながら言った。

『あの…黒鋼さん』
「……なんだ」
『―――どうして、黒鋼さんはおれに…その……』
「理由なら簡単だ」
『………?』
「好きな奴を抱きたくなるのは当たり前だろが」
『………………えっ!?』

黒鋼からぶっきらぼうに出た言葉は、小狼が予想していたものとは大きく違い、理解するのに時間が掛かってしまった。
やっとの事で整理がつくと、今度は体温が上がり、頬が染まる。
小狼が信じられないと言わんばかりに瞬きを繰り返していると、黒鋼が話を切り出してきた。

「お前はどう思ってる」
『……ぉ、おれは…』
「質問を変えるか…」
『………』
「お前は嫌だったか?俺としてみて、どう思った」

そのひとことで、極力思い出さないようにしていた行為を鮮明に思い出してしまった。
と言っても、途中から意識が朦朧としていた為、全てを覚えてはいないのだが…。
小狼は身体を起こし、黒鋼の方に顔を向け、しかし視線は外したままで申し訳なさそうに告げる。

『あの…すみません。あまり………覚えてなくて…』

その言葉に、思った通りだと言わんばかりの表情をして、黒鋼は軽く息を吐いた。
そして、小狼の顎をくいっと上へと持ち上げる。思わず小狼が視線を正面に戻すと、黒鋼の視線と搗ち合ってしまった。

『??……ぁ…の?』
「…じっとしてろ」
『ぇ…?―――ん…っ』

顔が徐々に近くなったかと思えば、自然と唇が重なっていた。黒鋼があまり力を入れてなかったので、突き放そうと思えば出来たのだが…。
それは優しくて、心地好かった。

触れるだけの口づけが数秒間続き、やがてはじまりと同じように、お互いの顔が離れて行く。
いつの間にか閉じていた瞳をゆっくりと開くと、そこには自分を凝視している黒鋼の姿があった。

『…く…ろがねさん……?』
「――今のは?」
『へっ?』
「今のは嫌だったのか?」
『――ぁ、えっ』

いきなりキスをされたから一体何だと思っていたが、そういう事だったのか…。
黒鋼の顔を直視して言いたくはなかったので、少し俯いてポソリと呟く。

『……嫌ではないです…』
「素直じゃねぇな」
『そう言う黒鋼さんだって順番が違いませんか!?』
「何言ってんだ。結果が良けりゃそれでも良いだろ」
『…そ…そうですか…』

はっきりと言い切られてしまい、何も返す言葉が浮かばない。
更に蒸気した顔を再び布団に埋め、眠りに就くことにする。
小狼の苦悩はまだまだ続きそうである。
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